横浜中華街は、各地から来県する観光客に人気の日帰り観光スポットとして魅力を持っています。
食べ歩きや買い物だけでなく、中華街の歴史や文化に触れることで、一層楽しい旅行になることでしょう。
本記事では、横浜中華街がどのようにして現在の姿へと変化してきたのか、日本との関わりや歴史的な背景などと共に名物グルメなどもご紹介します。
横浜中華街の魅力を再発見し、楽しい旅の思い出をより一層深めていただければ幸いです。
シニアが巡る横浜中華街
横浜中華街の誕生から現在
横浜駅からみなとみらい線の特急に乗って約7分。
地下ホームから地上へ上がれば、交差点の先に横浜中華街のシンボルでもある大きな門が見えてきます。
朝を守る門『朝暘門(ちょうようもん)』です。
横浜中華街の4方向(東西南北)にはそれぞれ名前の付いた煌びやかな門が配置されています。
- 東方向・・・朝を守る門『朝暘門(ちょうようもん)』
- 西方向・・・夕方の時間を守る門『延平門(えんぺいもん)』
- 南方向・・・昼の時間を守る門『朱雀門(すざくもん)』
- 北方向・・・夜の時間を守る門『げんぶもん)』
場所は神奈川県横浜市中区。
神奈川県庁、横浜税関、横浜港、横浜スタジアムなどがある、横浜の中心地です。
約0.2平方キロメートル(東京ドーム約4.2個分)の中におよそ600軒以上の店舗があります。
ビルとビルがひしめき合って建っている様を見ると、なるほどと思います。
1859年(安政6年)横浜が開港すると外国人居留地が出来、欧米人や中国人が来ました。
香港や広東からの中国人が多く、その後横浜と上海、香港との間に定期航路が開設され、中国人の貿易商も来航し居留地の一角に関帝廟(かんていびょう)や中華学校を建設。
横浜中華街の初めの姿です。
引用元:ウィキペディア
南京町という言葉はシニア世代には懐かしく思わる方も多いのではないでしょうか。
私も子供の頃よく耳にしました。
1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災でここは大打撃を受けました。
その為、欧米人たちの多くは帰国し1930年代には震災から復興を果たし、中国人を中心とした場所へと変わっていきました。
戦争や震災など大変な物事を乗り越えて町の発展があるのだと、改めて実感します。
横浜中華街の食べ歩き
- 中華粥の名店 謝甜記(シャテンキ) <サンタクロースが目印>
- 賑わう通りと横浜関帝廟
- 中華街の路地裏のお店と高層マンション
- みなとみらい線の開業
- 横浜ランドマークタワー展望台スカイガーデンからの景色
中華粥の名店 謝甜記(シャテンキ) <サンタクロースが目印>
行列必須の名店です。
予約は出来ないのでご注意ください。
並んでいる間にメニューを決めて順番がくるのを待ちます。
<謝甜記一号店>
一号店は昔ながらの町の中華屋さんな雰囲気です。
座席は階段を上がって3階でした。
階段がお辛い方は貮号店の方が良いかもしれません。
<謝甜記(シャテンキ)貮号店>
他にも食べ歩きグルメを堪能できます。
賑わう通りと横浜関帝廟
横浜関帝廟は、三国志で有名な武将、関羽が祀られています。
関東大震災や横浜大空襲で3回焼失され、現在の建物は4代目です。
中華街の路地裏のお店と高層マンション
今と昔を同時に見る事ができた景色。
中華街の路地裏にもお店がたくさん並んでいます。
大きな通りだけでなく、横道にも足を運んでみて下さい。
みなとみらい線の開業
駅が誕生し、電車が走るようになると観光客も増えていきます。
現在は相互直通路線図を見ると、遠く埼玉県方面からも来ることが出来るようになりました。
中華街でお食事して、山下公園方面へ散歩するのも良いですね。
道も平らなので歩いても10分ほどで到着です。
横浜ランドマークタワー展望台スカイガーデンからの景色
あそびゅーでスカイガーデンの入場券を申し込むと
大人1000円➡900円で利用できます。
シニア(65歳以上)は800円➡600円で利用できます。
【横浜中華街】シニアが巡る歴史と食べ歩きの街のまとめ
- 横浜中華街の歴史の陰には横浜港の開港や震災を乗り越えて今がある。
- 横浜中華街の路地裏から見上げる高層マンション。今と昔が同じ時を刻む。
- 美味しいグルメを堪能したら、山下公園まで歩いてみましょう。
横浜中華街からみなとみらい地区へタイムスリップする日帰り旅行。
ランドマークタワーの展望台に登れば、運が良ければ海外から来る大型客船にもお目にかかれるかもしれません。
お天気の良い一日を横浜中華街とみなとみらいへ行ってみませんか。
最後までお読みいただきありがとうございました。